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カーネル・サンダースさんをご存知ですか?
あのケンタッキーフライドチキンの創始者で、今でも、あのお店には
マスコットとして彼の等身大の像が飾られています。

カーネル・サンダースさんは、1890年に米国のインディアナ州で生まれました。
しかし、彼がまだ6歳のときに、父親が他界して、母親が仕事に出なければならなかったため、
幼い弟や妹の面倒をみるうちに料理がうまくなったそうです。
その後、10歳から農場に働きに出るなど、若いうちから家計を支えるために働きました。
しかし、なかなか定職には就けず、30代後半まで40以上の仕事を転々としていたそうです。
そして、30代後半に、ケンタッキー州でガソリンスタンドを経営するようになりました。
しかし、運悪く、世界恐慌のあおりを受けて倒産してしまいました。
それでも、彼はあきらめませんでした。
今度は、40歳のときに、再度、ケンタッキー州の別の町でガソリンスタンドの一角を借り、
6席のレストランを始めました。
そう、ガソリンスタンドに立ち寄った人に、ついでに食事をしてもらおうという狙いです。
そして、これが大当たり!
たちまち評判になり、大繁盛しました。しかし、そんな彼を不幸が襲います。
一生懸命お店を手伝ってくれていた一人息子が、なんと20歳の若さで、病気のため亡くなってしまったのです。
しかも、失意の中の彼に、さらに追い打ちをかけるかのように、お店が火事になってしまいました。
しかし、彼は、それでもあきらめませんでした。
再度、お店を再建し、以前にも増して繁盛させ、ケンタッキー州に貢献した人に与えられる
”ケンタッキー・カーネル”という名誉称号(名誉大佐)を与えられるまでになったのです。
しかし、そんなカーネル・サンダースをまたまた不幸が襲います。
彼の店は、交通量の多い国道に面していたのですが、なんと、高速道路ができてしまったために、
その国道の交通量が激減し、それと同時に、売り上げもどんどん減っていってしまったのです。
その時、カーネル・サンダースは65歳。
さすがの彼も、そろそろビジネスも潮時だと、お店をたたみ、年金で余生を過ごそうと思いました。
しかし、もらえる年金の額を知り、愕然とします。
なんと、一月当たり1万円程度しかもらえないことがわかったのです。
とても生活できる額ではありませんでした。生活するには、何かやるしかなかった。
そこで思い付いたのが、レストランをやっていたときに評判の良かった“フライドチキン”のレシピを売ること。
さっそく、カーネル・サンダースは、レストランを回って売り始めました。
しかし、どの店も門前払い。話さえまともに聞いてもらえませんでした。
それでも、彼はあきらめず、試行錯誤し、最後には、『食べてもらえればわかる』
と、自ら圧力なべや材料を持参して、閉店後に店員に試食してもらったり、
お店のお客さんに試食させてもらったりしました。
そして、ついに、1010件目。彼と契約してくれるレストランが見つかったのです。
そして、ここから、ケンタッキーフライドチキンは全米、そして、世界へと広まっていきます。
次々とやってくる不運や、不幸。
あきらめようと思えば、そのチャンスは、いくらでもあったし、十分な理由もあった。
周りも納得し、彼を責めなかったでしょう。
でも、彼はあきらめなかった。
あのケンタッキーフライドチキンの創始者で、今でも、あのお店には
マスコットとして彼の等身大の像が飾られています。


カーネル・サンダースさんは、1890年に米国のインディアナ州で生まれました。
しかし、彼がまだ6歳のときに、父親が他界して、母親が仕事に出なければならなかったため、
幼い弟や妹の面倒をみるうちに料理がうまくなったそうです。
その後、10歳から農場に働きに出るなど、若いうちから家計を支えるために働きました。
しかし、なかなか定職には就けず、30代後半まで40以上の仕事を転々としていたそうです。
そして、30代後半に、ケンタッキー州でガソリンスタンドを経営するようになりました。
しかし、運悪く、世界恐慌のあおりを受けて倒産してしまいました。
それでも、彼はあきらめませんでした。
今度は、40歳のときに、再度、ケンタッキー州の別の町でガソリンスタンドの一角を借り、
6席のレストランを始めました。
そう、ガソリンスタンドに立ち寄った人に、ついでに食事をしてもらおうという狙いです。
そして、これが大当たり!
たちまち評判になり、大繁盛しました。しかし、そんな彼を不幸が襲います。
一生懸命お店を手伝ってくれていた一人息子が、なんと20歳の若さで、病気のため亡くなってしまったのです。
しかも、失意の中の彼に、さらに追い打ちをかけるかのように、お店が火事になってしまいました。
しかし、彼は、それでもあきらめませんでした。
再度、お店を再建し、以前にも増して繁盛させ、ケンタッキー州に貢献した人に与えられる
”ケンタッキー・カーネル”という名誉称号(名誉大佐)を与えられるまでになったのです。
しかし、そんなカーネル・サンダースをまたまた不幸が襲います。
彼の店は、交通量の多い国道に面していたのですが、なんと、高速道路ができてしまったために、
その国道の交通量が激減し、それと同時に、売り上げもどんどん減っていってしまったのです。
その時、カーネル・サンダースは65歳。
さすがの彼も、そろそろビジネスも潮時だと、お店をたたみ、年金で余生を過ごそうと思いました。
しかし、もらえる年金の額を知り、愕然とします。
なんと、一月当たり1万円程度しかもらえないことがわかったのです。
とても生活できる額ではありませんでした。生活するには、何かやるしかなかった。
そこで思い付いたのが、レストランをやっていたときに評判の良かった“フライドチキン”のレシピを売ること。
さっそく、カーネル・サンダースは、レストランを回って売り始めました。
しかし、どの店も門前払い。話さえまともに聞いてもらえませんでした。
それでも、彼はあきらめず、試行錯誤し、最後には、『食べてもらえればわかる』
と、自ら圧力なべや材料を持参して、閉店後に店員に試食してもらったり、
お店のお客さんに試食させてもらったりしました。
そして、ついに、1010件目。彼と契約してくれるレストランが見つかったのです。
そして、ここから、ケンタッキーフライドチキンは全米、そして、世界へと広まっていきます。
次々とやってくる不運や、不幸。
あきらめようと思えば、そのチャンスは、いくらでもあったし、十分な理由もあった。
周りも納得し、彼を責めなかったでしょう。
でも、彼はあきらめなかった。
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