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坂村真民氏のことば。其の四

2015/08/18 23:58

坂村真民氏05



坂村真民 氏のことば


『 われわれの不幸は、待たなくてもやってくる。
  だがわれわれの幸福は、待つだけでは来ない。』




『 本を何百巻読んでも、本ものにはなれない。
  本は頭を肥やすが、足は少しも肥やしはしない。
  足からきた悟りが、本ものである。 』




『 漫然と生きているのが、一番いけない。
  人間何か希望を持たねばならぬ。
  希望は小さくてもよい。
  自分独自のものであれば、
  必ずいつか、それが光ってくる。
  そして、その人を助けるのだ。 』




『 人間いつかは終わりがくる。
  前進しながら終わるのだ。 』




『 尊いのは、頭ではなく、
  手ではなく、足の裏である。
  一生人に知られず、一生きたない処と接し、
  黙々として、その務めを果たしてゆく。
  しんみんよ、足の裏的な仕事をし、
  足の裏的な人間になれ。
  頭から光が出る。
  まだまだだめ。
  額から光が出る。
  まだまだいかん。
  足の裏から光が出る。
  そのような方こそ、本当に偉い人である。 』




坂村真民氏08

坂村真民 (さかむら しんみん)氏
-1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名 昂(たかし)。一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。- (ウィキペディア・坂村真民記念館HPより抜粋)

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坂村真民氏のことば。その参

2015/08/14 22:35

坂村真民氏07



坂村真民 氏のことば


『 天才には、そう誰にでもなれないが、
  本物には、努力次第でなれる。』




『 大切なのは、かつてでもなく、これからでもない。
  一呼吸一呼吸の今である。』




『 鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが、
  何もそんなことばに耳を借す必要はない。
  せっせと磨くのだ。
  刀は光らないかもしれないが、磨く本人が変わってくる。
  つまり刀が すまぬすまぬと言いながら、
  磨く本人を光るものにしてくれるのだ。』




『 少食であれ!  これは健康のもと。
  少欲であれ!  これは幸福のもと。
  この二つのものを しっかりと身につけよう。
  この世を悔いなく終わるため。
  この世を楽しく生きるため。』




『 流れてさえおれば、水は必ず海に達する。
  それと同じように、努力さえしておれば、
  所思は必ず遂げられる。 』




坂村真民氏08


坂村真民 (さかむら しんみん)氏
-1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名 昂(たかし)。一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。- (ウィキペディア・坂村真民記念館HPより抜粋)

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坂村真民氏のことば。その弐

2015/08/10 23:58

坂村真民氏06


坂村真民氏のことば


『 日の昇るにも手を合わさず、
  月の沈むにも心ひかれず、
  あくせくとして一世を終えし人の いかに多きことぞ。
  道のべに花咲けど見ず、梢に鳥鳴けど聞かず。
  せかせかとして過ぎゆく人の いかに多きことぞ。
  二度とないこの人生をいかに生きいかに死するか、
  耳をかたむけることもなくうかうかとして、
  老いたる人の いかに多きことぞ。
  川の流れにも風の音にも
  告げ結う声のあることを知ろうともせず、
  金に名誉に地位に狂奔し終わる人のいかに多きことぞ。』




『 咲くも無心 散るも無心
  花は嘆かず 今を生きる。』




『 一難去って また一難。
  でも思えば、この難によって、念が鍛えられ、
  念の花が咲き、念の実が熟するのだ。』




『 一番恐ろしいのは、自己との妥協だ。』



『 おのれが尊いのではない。
  おのれをおのれ たらしめるものが、
  おのれのなかに あるから尊いのである。
  だからこの おのれたらしめるものを
  見出さなくてはならぬ。
  自覚しなくてはならぬ。
  そのことなくしては、人は人としての
  ねうちがあるとは言えない。』




『 木が美しいのは、自分の力で立っているからだ。』



『 最高の人というのは、この世の生を、精いっぱい、
  力いっぱい、命いっぱい、 生きた人。 』




坂村真民氏08

坂村真民 (さかむら しんみん)氏
-1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名昂(たかし)。一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。- (ウィキペディア・坂村真民記念館HPより抜粋)

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坂村真民氏の名言。その壱

2015/08/06 23:58

坂村真民氏10


坂村真民 氏のことば


『 花は一瞬にして咲くのではない。
  大地から芽から出て葉をつくり、葉を繁らせ、成長して、
  つぼみをつくり花を咲かせ、実をつくっていく。
  花は一瞬にして咲くのではない。
  花は一筋に咲くのだ。 』




『 すべての人が幸せを求めている。
  しかし幸せというものはそうやすやすと
  やってくるものではない。
  時には不幸という帽子をかぶってやってくる。
  だからみんな逃げてしまうが、
  実はそれが幸せの正体だったりするのだ。』




『 雑魚は雑魚なりに、大海を泳ぎ。
  我は我なりに、大地を歩く。』




『 生も一度きり、死も一度きり、
  一度きりの人生だから、
  一年草のように、独自の花を咲かせよう。』




『 花は一瞬にして咲かない。
  大木も一瞬にして大きくはならない。
  一日一夜の積み重ねの上に その栄光を示すのである。』




『 川はいつも流れていなくてはならぬ。
  頭はいつも冷えていなくてはならぬ。
  目はいつも澄んでいなくてはならぬ。
  心はいつも燃えていなくてはならぬ。』




『 本気になると世界が変わってくる。
  自分が変わってくる。
  変わってこなかったら、まだ
  本気になっていない証拠だ。
  本気な恋、本気な仕事。
  ああ、人間一度はこいつをつかまないことには。』




坂村真民氏12

坂村真民 (さかむら しんみん)氏
-1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名昂(たかし)。一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。- (ウィキペディア・坂村真民記念館HPより抜粋)
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マザーテレサ氏から愛のメッセージ。その参

2015/07/18 23:58

マザーテレサ氏10


マザーテレサ氏から、愛のメッセージ


『 愛されることより愛することを。
  理解されることよりは理解することを。』




『 一切れのパンではなく、多くの人は愛に、
  小さなほほえみに 飢えているのです。』




『 所有すればするほど、とらわれてしまうのです。
  より少なく所有すれば、より自由でいられます。』




『 短くて口に出しやすい言葉でも、
  心のこもった言葉はあるのです。
  そんな言葉はいつまでも心の中に輝き続けるのです。』




マザーテレサ氏11



『 喜びとは、魂を捕まえられる 愛の網なのです。』



『 私たちは、成功するためにここにいるのではありません。
  誠実であるために ここにいるのです。』




『 あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、
  親切と慈しみを込めて人に接しなさい。
  あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉に
  あらわれるようにするのです。』




マザーテレサ氏14

マザーテレサ氏 (Mother Teresa、1910年-1997年)
-本名は「アグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ」(Agnesa/Antigona Gongea Boiagi = アルーマニア語)、「アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ」(Agnese Gonxhe Bojaxhiu = アルバニア語)。「マザー・テレサ」という名前は、修道名の「テレサ」に指導的な修道女への敬称「マザー」を付けたもの。カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。
生前からその活動は高く評価され、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。-


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