Latest Entries

読み間違いやすいですが、正しく読めるでしょうか。
すぐ下に、正解の読みと意味がありますので、楽しんでください。
『 刃 傷 沙 汰 』 『 順 風 満 帆 』
『 大 山 鳴 動 』 『 会 者 定 離 』
『 温 州 蜜 柑 』 『 不 惜 身 命 』
『 丁 々 発 止 』 『 一 期 一 会 』
『 傍 目 八 目 』 『 三 位 一 体 』

それでは、答え合わせをしましょう。
意味も書き添えていますので、参考にしてくださいね。
『 刃傷沙汰 』・・・× じんしょうさた ○ にんじょうざた
= 刃物による殺傷事件。 ◆刃の“ジン”は漢音。“ニン”は呉音。
『 順風満帆 』・・・× じゅんぷうまんぽ ○ じゅんぷうまんぱん
= すべて順調に進むこと。追い風。 ◆帆の音は“パン”。 ◇建設は~に進んでいる。
『 大山鳴動 』・・・× おおやまめいどう ○ たいざんめいどう
= 前触れが大きい割に、たいしたことはなかったこと。 ◇~してネズミ一匹。
『 会者定離 』・・・× かいしゃていり ○ えしゃじょうり
= 会うは別れの始め。この世の無常をいう。 ◆モノの定め。平家物語の一文「生者必滅会者定離」
『 温州蜜柑 』・・・× おんしゅうみかん ○ うんしゅうみかん
= 日本で新たにつくられた、代表的なミカンの品種。 ◆温は“ウン”。「温州」という呼称は、かつてミカンの名産地であった中国の地名に由来。
『 不惜身命 』・・・× ふせきしんめい ○ ふしゃくしんみょう
= 命を惜しまずその道にかける。 ◆本来は仏道修行に精進すること。
『 丁々発止 』・・・× ていていはっし ○ ちょうちょうはっし
= 互いに打ち合い、しのぎ合うさま。互いに譲らず激しく議論する意にも用いられる。 ◆“丁々”も“発止”も擬音。 ◇~の論戦。
『 一期一会 』・・・× いっきいっかい ○ いちごいちえ
= いついかなる時も、客を、一生に一度しか出会いの無いものとして、悔いのないようにもてなせ、という教え。 ◆茶道での客に対する心得。
『 傍目八目 』・・・× はためはちもく ○ おかめはちもく
= 外部からだと本質や良し悪しがよく見える。 ◆碁で対局者より、傍らで見ているほうが八目も先を読めることから。
『 三位一体 』・・・× さんいいったい ○ さんみいったい
= 三つの要素が協力しあい、一体となること。 ◆キリスト教の基本的教義。

四字熟語の読みは難しかったですか?
では、次回をお楽しみに!!
スポンサーサイト
[編集]

坂村真民 氏のことば
『 われわれの不幸は、待たなくてもやってくる。
だがわれわれの幸福は、待つだけでは来ない。』
『 本を何百巻読んでも、本ものにはなれない。
本は頭を肥やすが、足は少しも肥やしはしない。
足からきた悟りが、本ものである。 』
『 漫然と生きているのが、一番いけない。
人間何か希望を持たねばならぬ。
希望は小さくてもよい。
自分独自のものであれば、
必ずいつか、それが光ってくる。
そして、その人を助けるのだ。 』
『 人間いつかは終わりがくる。
前進しながら終わるのだ。 』
『 尊いのは、頭ではなく、
手ではなく、足の裏である。
一生人に知られず、一生きたない処と接し、
黙々として、その務めを果たしてゆく。
しんみんよ、足の裏的な仕事をし、
足の裏的な人間になれ。
頭から光が出る。
まだまだだめ。
額から光が出る。
まだまだいかん。
足の裏から光が出る。
そのような方こそ、本当に偉い人である。 』

坂村真民 (さかむら しんみん)氏
-1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名 昂(たかし)。一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。- (ウィキペディア・坂村真民記念館HPより抜粋)
[編集]

坂村真民 氏のことば
『 天才には、そう誰にでもなれないが、
本物には、努力次第でなれる。』
『 大切なのは、かつてでもなく、これからでもない。
一呼吸一呼吸の今である。』
『 鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが、
何もそんなことばに耳を借す必要はない。
せっせと磨くのだ。
刀は光らないかもしれないが、磨く本人が変わってくる。
つまり刀が すまぬすまぬと言いながら、
磨く本人を光るものにしてくれるのだ。』
『 少食であれ! これは健康のもと。
少欲であれ! これは幸福のもと。
この二つのものを しっかりと身につけよう。
この世を悔いなく終わるため。
この世を楽しく生きるため。』
『 流れてさえおれば、水は必ず海に達する。
それと同じように、努力さえしておれば、
所思は必ず遂げられる。 』

坂村真民 (さかむら しんみん)氏
-1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名 昂(たかし)。一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。- (ウィキペディア・坂村真民記念館HPより抜粋)
[編集]

坂村真民氏のことば
『 日の昇るにも手を合わさず、
月の沈むにも心ひかれず、
あくせくとして一世を終えし人の いかに多きことぞ。
道のべに花咲けど見ず、梢に鳥鳴けど聞かず。
せかせかとして過ぎゆく人の いかに多きことぞ。
二度とないこの人生をいかに生きいかに死するか、
耳をかたむけることもなくうかうかとして、
老いたる人の いかに多きことぞ。
川の流れにも風の音にも
告げ結う声のあることを知ろうともせず、
金に名誉に地位に狂奔し終わる人のいかに多きことぞ。』
『 咲くも無心 散るも無心
花は嘆かず 今を生きる。』
『 一難去って また一難。
でも思えば、この難によって、念が鍛えられ、
念の花が咲き、念の実が熟するのだ。』
『 一番恐ろしいのは、自己との妥協だ。』
『 おのれが尊いのではない。
おのれをおのれ たらしめるものが、
おのれのなかに あるから尊いのである。
だからこの おのれたらしめるものを
見出さなくてはならぬ。
自覚しなくてはならぬ。
そのことなくしては、人は人としての
ねうちがあるとは言えない。』
『 木が美しいのは、自分の力で立っているからだ。』
『 最高の人というのは、この世の生を、精いっぱい、
力いっぱい、命いっぱい、 生きた人。 』

坂村真民 (さかむら しんみん)氏
-1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名昂(たかし)。一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。- (ウィキペディア・坂村真民記念館HPより抜粋)
[編集]

坂村真民 氏のことば
『 花は一瞬にして咲くのではない。
大地から芽から出て葉をつくり、葉を繁らせ、成長して、
つぼみをつくり花を咲かせ、実をつくっていく。
花は一瞬にして咲くのではない。
花は一筋に咲くのだ。 』
『 すべての人が幸せを求めている。
しかし幸せというものはそうやすやすと
やってくるものではない。
時には不幸という帽子をかぶってやってくる。
だからみんな逃げてしまうが、
実はそれが幸せの正体だったりするのだ。』
『 雑魚は雑魚なりに、大海を泳ぎ。
我は我なりに、大地を歩く。』
『 生も一度きり、死も一度きり、
一度きりの人生だから、
一年草のように、独自の花を咲かせよう。』
『 花は一瞬にして咲かない。
大木も一瞬にして大きくはならない。
一日一夜の積み重ねの上に その栄光を示すのである。』
『 川はいつも流れていなくてはならぬ。
頭はいつも冷えていなくてはならぬ。
目はいつも澄んでいなくてはならぬ。
心はいつも燃えていなくてはならぬ。』
『 本気になると世界が変わってくる。
自分が変わってくる。
変わってこなかったら、まだ
本気になっていない証拠だ。
本気な恋、本気な仕事。
ああ、人間一度はこいつをつかまないことには。』

坂村真民 (さかむら しんみん)氏
-1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名昂(たかし)。一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。- (ウィキペディア・坂村真民記念館HPより抜粋)
[編集]